出典: 2021-09-16
https://narasige.hatenablog.com/entry/2021/09/16/133026

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昭和12年、原節子はベルリンで舞台挨拶をしていました

昭和12年の初夏(1937)、「原節子・ベルリン写真通信」が「主婦之友」に連載されました。なんでベルリンに行ったかというと、日独合作の国策映画「新しき土」の主役だったから。10代の原節子が鏡で自撮りしてます!


「主婦之友」昭和12年7月号

昭和11年、ドイツの旗が有楽町に…。日独防共協定の成立

原節子がベルリンに行く前年(昭和11)、日独合作映画「新しき土」の撮影がすすめられています。(撮影風景はこちらに書きました→原節子16才。日独合作映画「新しき土」の撮影風景

そして昭和11年といえば、東京のど真ん中にこんな旗が…。写真のタイトルは「日独防共協定の成立」。場所は現在の有楽町マリオンです。

日本劇場の前に大きな>ナチスの旗が掲げられていて驚いた。急に世界の渦中にあることを感じた。朝日新聞社が背景で、特に印象的であった。(昭和11年)『想い出の東京 師岡宏次写真集』


「主婦之友」昭和12年7月号

原節子のベルリン写真だより

以下、「原節子ベルリン写真通信」から抜粋してご紹介しますね。

ベルリンに向けて東京駅を出発

原節子、義兄、川喜多夫妻の4人で出発!当たり前だけど、羽田や成田じゃなくて東京駅からなんですね。

3月10日の夜、東京駅で皆様の物凄いばかりのお見送りをいただき、川喜多様ご夫妻(東和商事社長)、義兄(熊谷監督)私の4人は無事に希望の多い旅を続けました。18日、満洲里(マンチュリー)を離れてソヴィエットに入るまでは、どこの駅でもファンの方が多勢見えて、励ましてくださいましたので、少しも淋しくはありませんでしたが、シベリア鉄道の1週間の明け暮れは、本当に淋しく、 退屈でございました。


「主婦之友」昭和12年6月号

川島芳子の妹や、「半島の舞姫」の崔承喜とのスナップ写真

満州を経てベルリンに向かう途中の写真。【右】日満連絡船で川島芳子の妹、川島廉子と。【左】大連で「半島の舞姫」の崔承喜と。原節子は小さな日本家屋よりも、大連みたいな空間の方がしっくり見えます。


「主婦之友」昭和12年6月号

ベルリン「カピトル座」に岐阜提灯がズラリ

その晩から『武士の娘』(新しき地の独逸名)が上演されているカピトル座に、ご挨拶に出ることになりました。カピトル座の正面には、浮世絵の赤富士に、小杉さんとエヴェラさんと私とを配した大きな看板が掲げられ、「新しき土」の岐阜提灯がずらりと下がり、「伊丹万作さん江」「早川雪洲さん江」「原節子さん江」などと書いた旗のぼりが立てられて、道行く人は皆しばらく足を停めて眺める有様でした。


「主婦之友」昭和12年6月号

ベルリンでヒトラーユーゲントと

「彼らの総統を尊敬していることは非常なもので、見るからに溌溂として、明るい若人達でした」


「主婦之友」昭和12年7月号


「主婦之友」昭和12年7月号

ホテルの部屋以外は、着物姿

ライプツィヒの大戦記念塔、ハンブルグ港にて。


「主婦之友」昭和12年7月号

デパートガールの採用面接に「ヒットラー」

余談ですが「原節子のベルリン通信」と同じ誌面では、獅子文六の『青春売場日記』が連載中でした。 主人公は華族出身のデパートガール(←興味本位で就職・笑)。採用面接でふつうに「ヒットラーという名をを知っていますか」などと聞かれています。

▽デパート勤務の華族(絵は田中比佐良)


獅子文六『青春売場日記』「主婦之友」昭和12年6月号


以上、原節子のベルリン通信のご紹介でした。

昭和12年初夏に連載されていたベルリン通信ですが、昭和12年7月7日に盧溝橋事件が起こります。以降「主婦之友」は、それまでの ターキー大好き といった調子から、どんどん雰囲気を変えていくことに。

▽昭和12年秋、「主婦之友」で女医に扮した原節子。キリリ。(昭和12年11月号)


「主婦之友」昭和12年11月号